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2020年2月12日「肯定ファーストが大事だよね」

ちょっと今日は真面目な話ね。

昨年受講したEssentialManagementSchool(本質行動学)で本質についてを学ばせてもらいました。
そこで物事の本質を明らかにするのに、最も有効なものは“肯定ファースト”と言う考え方じゃないかって教わりました。

そしてこの本質なんですが、ココを外してしまうと何もかもが0になってしまうと。

確かに本質の反対にあるのは形式で、形式主義になれば、形だを整えればそれでいいって事になります。サービスでもなんでも本質の部分を忘れて形式だけになってしまっては、本当にお客様に喜ばれる、感動するようなサービスは生まれませんもんね。

例えば、大学で出世する為には、論文をたくさん出さないといけないそうです。
だからその論文が世の中にとって、素晴らしい物でこれで世の中がより良い方向に変わっていく物なのかどうかと言う本質の部分ではなく、論文の数と言う形式が重要になるって事だそうです。

これが一般企業であれば、とにかくノルマ売上をどんな方法を使ってもいいから、たくさん上げた人が出世し、その中で法やルールに触れなければ、なんでもいいって事になりかねないですよね。そんな人が出世して、本当に目の前の人が喜ぶようなやり方や方法は関係ないって事になってしまいます。

だから常に本質とは何かを考えて行かないと、数字や目に見えやすい形式ばかりにフォーカスされて、本来重視しなければならない本質が抜け落ち、後にとんでもない間違いや迷惑を世間やお客様にかかってしまう事になるんです。

そこで、この本質とは何かを考えたり議論したりしなくてはいけないのですが、ココで大事になるのが肯定ファーストなんだと。

人は自分を肯定したいし、相手からも肯定されたい。
そのどちらからも肯定する、される事ができたら自己肯定感が上がり幸せになれるんです。
行程ファーストとは、相手の存在を認めるって事で、そうすることで結果として、多種多様な意見を言える場を作ることができます。

反対に、否定ファーストから入ると、意見の強い人しか生き残れない場所を創ってしまいます。そして、新しいアイデアや声の小さな意見には光が当たらなくなってしまうんだそうです。
だから肯定ファーストが重要なんだと教わりました。

この肯定ファーストですが、難しく本質を考えるだけでなく、僕はコミュニケーションにとっても大切なんじゃないかって思います。

人はそれぞれ違ってそれでいいって事は頭ではわかっていても、自分と意見が違ったり考え方が違うとそれを忘れてしまい、その人そのものを受け入れる事が難しくなってしまい、建設的なコミュニケーションをとれなくなってしまいますよね。

寛司先生にも教わった、人は正しい事を言っても変わらない。正論で人は変わらないんだと。
かえって、正論で伝えると反発をうんで余計に相手はかたくなになる。だから、相手の事を理解しようとすればいい、それは相手がそうしたのにはそうしたいなりの理由があるって事を理解しようとすることなんだと。

そして理解しようとしてくれているって事が相手に伝わって、初めて相手はコチラの話も聞いてくれるようになるんだと。だから肯定ファーストが大事なんです。

ただ、この肯定ファーストとは、相手の意見を無条件に受け入れるんだと言うように勘違いしてしまいますが、そうではなくて、受け入れるのではなく、受け取ると言った感じがいいと思うんです。

例えば、日本では一夫一妻制です。そこにアラブの国の人が一夫多妻制の事を言われても、きっと受け入れることはできないと思うんです。でも、受け取る事はできるんじゃないかって事です。

一夫多妻制って言う考え方もあるんだなって受け取るって事です。ちょっと理解するのは難しいけど、それを良しとして生活をしているだなって事を受け取ってみると、相手ともコミュニケーションがとりやすくなります。

特にリーダーやマネジメントを任されている人たちが、この肯定ファーストを意識することで、組織も良くなって、本質を実践する世の中に変わっていけるんじゃないかって思います。

みんなで肯定ファーストで行きましょう

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2020年2月10日「どうしても行きたい高校なんですよね~」

先週6日に行ったのは山形県立酒田西高校さんです。
実は山形の県立高校さんには、毎年行かせていただいているんですよね~。
そしてなぜ、行きたいのかって言うと、もう10数年以上前ですかね、一人の先生とのご縁を頂いたからなんです~。

きっと、先週の酒田西高校の生徒のみんなも見てくれてるかもしれないから、素敵な先生との出会いとご縁の事を書いておこうね

2002年にメルマガ「テーマパークが私の学校」をぜひ本にしたいんだと、こう書房の編集の岩崎さんが突然メッセージをくれて、他にもいくつかの出版社の方から連絡を受けたんですが、一番早くに連絡してくれたのと、当時のこう書房さんの会社に行って、出会った岩崎さんが、僕のイメージしている編集者さんそのもので、ガリガリの不健康そうな顔つきと、ヨレヨレのワイシャツに黒い手首から肘までかぶせるやつを付けて、出てきたんですよね。会社も神楽坂の雑居ビルで、隙間風のぴゅーぴゅーするような事務所でした。

ほんとやべえなって思ったけど、連絡をくれた編集の岩崎さん、話をするとほんとに本が好きで、編集の仕事が大好きで、目を見たらもういっちゃってるんですよね。完全にスイッチ入ってる人だったんです。
だからもう、他の出版社はいいやって思って、岩崎さんに全部お任せしてみようって事で、「社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった」が生まれました。

もちろんその時は、自分の書いたものが本になって書店に並ぶなんて、夢にも思ってなくて……。ただただ、言われた通りにやっていたら、それを読んでくれた人が、友達や仲間に紹介してくれて、今のようにSNSなんて無いから、完全に口コミだけ(お金が無いから宣伝できないもんね)で、10万人の人が買ってくれて、今では22万部を超えてまだ書店においてもらえるってほんとに奇跡です。もう感謝しかないですよね。

そんな感じで、山形の一人の先生が、僕の本を読んでくれたんです。
それが、当時、鶴岡南高校だったかな、関先生との出会いの始まりでした。

関先生はちょっと変わっている数学の先生(笑)。
何がどう変わってるかは、西校の生徒のみんなが知ってるから、ここには書かないけど、図鑑のページとしては加賀屋博士といっしょなページの感じね(笑)

そして関先生は何を想ったのか、本に載っている住所を頼りに、遠く山形から自分の休みを使って東京へ
そして僕の会社の事務所を訪ねてくれたんです。

「あっ、香取さんですか?」
「はい、香取です」
「本物の香取さんなんですね~」
「えっ偽物が居るんですかぁ(笑)」

「僕は山形の県立高校で教師をさせてもらっている関と言います。
実は香取さんにどうしてもお願いがあって来たんです」
「あぁ……はい」

「香取さん、僕の学校の生徒に香取さんの話を聞かせたいんです。
山形まで来てもらえないですか?」
「そりゃ、もちろんご依頼があれば、そして僕みたいな出来損ないで良ければ行きますよ」
「ほんとですか 来てくれるんですか。嬉しいなぁ。
山形の片田舎なんかに行くわけねぇだろって言われたらどうしようかと思ってまして……」

(俺のイメージはどんな奴なんだよ(笑))

関先生の話を聞いてみると、もっとびっくりなのが、まだ学校に僕を呼ぶことも、生徒さんに向けての講演会をする予定もないと……。でも、香取さんがOKしてくれたら必ずやりますから、どうしてもうちの生徒に話を聞かせたいんですと。

もう、関先生の熱意にびっくりです。
自分の子供ならまだしも、自分の生徒にという想いだけで、山形から自分の時間を使ってきてしまうその熱意が凄いですよね。こんな先生に教えてもらえる生徒さんって、ほんとに幸せなんじゃないかなって思いました。

そして話は事務的な事に。

「……それでですね。香取さん、講演料なんですが……いくらぐらい用意すれば……」

一応、学生の方向けの講演料をお伝えし、それプラス羽田からの飛行機代なんですよねって事をお伝えすると一瞬の間があってから

「……わかりました。
大丈夫です。きちんとお支払いしますんで。すぐに学校に戻って改めて依頼させてもらいます」

でも、関先生の表情を見てすぐにわかりました。

「先生、先生の学校は県立高校だから、なかなか予算がないので難しいんじゃないですか?
難しければ、遠慮なく言ってもらっても大丈夫ですからね」

「いや、香取さん、大丈夫です。
もちろん県立高校なので、予算的には厳しいものもありますが、なんとかなると思いますし、絶対に何とかしますから

あんまり無理なさらないでくださいねと伝え、それから数週間が経った頃、関先生からお電話をいただきました。

「香取さ~ん
先日はありがとうございました。
学校に掛け合って、無事に予算通りましたので、この日に来てもらえますか?」
「おぉ~先生ありがとうございます。
了解しまいた。必ず行きますね~」

そして当日を迎えるまでに、どうしてもあの日の会話のあの一瞬の間が気になってしまい、関先生にお電話をしてみました。

「先生、ちょっと気になっている事があるんですよ~」
「えっ、なんですか?」
「言いにくいんですが、学校の予算が通ったって言っていたじゃないですか?
ほんとは、どうなんでか?」
「……えっ、ほんとはって……、大丈夫ですよ香取さん、ちゃんと支払えますから」

「いや、そういう事ではなくて、もしかして、足りない分を先生が自分で出そうって思っているんじゃないかなって思いまして」
「……香取さん、そっそんなわけないじゃないですか~あははは~(笑)」

声を聞いてわかりました。
先生は足りない分を自分が出そうって思っていたんです。

「先生、失礼ですが、公立高校の教師のお給料がどれぐらいなのかってのもある程度わかってます。それに公立高校の場合の予算もある程度わかってます。それに、最初から決まっていた講演会に僕を選んでくれたのならまだしも、勝手に僕を決めて講演会を設定したんですよね。そんな中で、こんなに早くに決まるのもおかしいなあって思ってまして……。
正直に言ってください。足りない分を先生が自ら支払おうってお考えじゃないですか?」

「……」
「やっぱりですね。先生の生徒さんを想う気持ちは十分わかりました。
でも、先生が足りない分を払うのは受け取れないですよ。もちろん、行きますし講演もさせてもらいますよ。でも、先生個人からいただくのはちょっと……」

「……バレてましたか……。
でも、それじゃあんまりにも申し訳なくて……
……あっ、そしたら、香取さんメロンって好きじゃないですか?」

「はっメロン……?
まぁ、大好きですよね……」

「良かった~
実は私の実家はメロン農家なんですよ。
山形の庄内メロンって結構有名なんですよ。
そしたら香取さん、講師料の足りない分はメロンを送ります。それでどうですか」

「メロンっすか(笑)
いいですね~。先生、面白いですね。わかりました今回は物々交換で行きましょう(笑)

そして、ここから10数年毎年関先生からメロンを送っていただいています。
ほんとにありがとうございます。

誤解を招かないように言うと、講師料は毎年ちゃんといただいていますが、関先生からは美味しいメロンも送っていただいています。いつもありがとうございます。

そして、関先生の学校で出番を頂くのですが、自分が16歳の時と比べると、ほんとに素直でいい生徒さんばかりです。関先生をはじめ、関わる先生方の熱意があったかくて、あの先生方に教えてもらっている生徒さんは、こんな風に素直に優しくさせるんだなぁって思います。

今回も酒田西高校さんでしたが、その1年生たちはみんな真剣に僕の話を聞いてくれて、素直に理解をしてくれているのが、みんなの顔つきからわかります。彼らが卒業後に社会に出るまでに、素敵な会社やお仕事ばかりで迷っちゃうよねって言う世の中を創らないとですね。

また来年も楽しみにしてま~す(^^♪
関先生、酒田西高校のみんな、ありがとう~(^^)/

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2020年2月4日「保育園の想いで~そしてそれは次に繋がる」

一昨日の日曜日は保育ドリームプランプレゼンテーション、通称ドリプラに参加させていただきました。
保育士さんや保育に関わる人たちが、自分の体験から生まれた夢のプランを10分間でプレゼンテーションする会なんですよね。

もともと、僕の3人の志匠のひとり、福島正伸さんと言う宇宙人が、大人が本気で自分の夢を語り、それを聞いている人たちがその夢に感動・共感して、一緒にその夢を実現したいって言う会を本気で創るんだって言って作られたものなんですよね。

志匠から初めて聞いた時にはびっくりでした。
だって、見ず知らずの人が自分の夢を諦められない理由と共に、その夢がかなったらどんな感じなのかをプレゼンテーションによって疑似体験して、それをお金を払って自分の時間を使って聞きに来てるお客さんが、感動の涙を流して、ぜひその夢を一緒にかなえさせて欲しいって言うプレゼン大会。しかもそのプレゼンテーションの中では説明と説得はしてはいけないってルールなんだと……。

正直、アホかって思ってました(笑)誰がそんなのお金を払って聞くんだよと……。(志匠、すんません)

でも、さすが志匠です。それを僕らに話してくれたその翌年、墨田リバーサイドホールを満員にして、最幸のプレゼンテーションで、コメンテーターで参加させてもらっている僕はコメントも出来ずに、マイクを持ってただただ、涙を流して、「僕らは生き急いでいたのかも知れないです」とコメントするのが精いっぱい……。

見ず知らずの普通の人たちが、本気で叶えたい夢を語るその姿に人は心を動かされるんですよね。
そんな世界大会を10年間続けてきて、今では日本中、世界中でドリプラが開催されているんです。

実は今年も、ウーマンドリプラと言って、女性が自分の夢を語るドリプラが、オーストラリアであるんですよね~。ほんとに凄いです。過去には今度ブログでも書きますが、ウガンダで元少年少女兵だった子供達が、自分の夢を語っています。

やっぱり志匠は宇宙人です(笑)

そんなドリプラで、一昨日は保育の業界を元気にする為に、保育ドリプラが開催されました。
もともと保育士さんが、ストレスで元気がなくなってしまう保育士さんを、マッサージなんかを通して元気にしたいんですって夢だったり、保育士としてやっていて、実のお姉ちゃんが自ら命を絶ってしまい、もっとちんたらしてもいいんじゃないかって、ちんたら村をやろうっていう人だったり、この春から保育士になる学生の子が、こんな保育士になりたいですって夢だったり、自分は子供が好きだったはずが、イヤイヤ期が始まって恐怖と暴力で自分の子供をしつけようした体験から、同じように悩んでいる親の味方になるんだと、YouTubeチャンネルを作って自らの失敗談から学んだことを提供していきたいって事だったり、ほんとに一つ一つの夢が叶ったら、日本の子供達が今以上に幸せになるんじゃないかって思って、目頭を押さえていました。

そんなことを聞いていたら、自分の体験した保育園での出来事を思い出しました。

僕の所は親父が職人で工場をやっていました。
おふくろもボタン工場のパートから、給食のおばちゃんになり、僕は2歳(当時は2歳からしか預かってもらえなかったらしいです)から、卒園の6歳までを保育園で育ちました。

当時は朝起きて眠い目をこすりながら支度をしてご飯を食べて、母ちゃんが漕ぐママチャリの後ろに乗って登園。夏も冬も一年中、雨でも晴でも、母ちゃんは汗だくになりながら、ママチャリをバリ漕ぎして俺のことを保育園に届けてくれて、それでも母ちゃんと別れる朝は、毎日母ちゃんの後を追って、保育園の柵越しに、冷たい鉄の柵を力いっぱい握りながら「母ちゃん~行かないで~」って、泣き叫んでいてました。

今思うと、母ちゃんも俺の「母ちゃん~」って泣き声を背中に受けながら、仕事に行くのは身を引き裂かれる想いだったんだと今、親にさせてもらって痛いほどわかります。

そんな朝の儀式が終わると、先生が来て
「たぁちゃん、そろそろ教室にはいろうか」
って、俺を抱きしめてくれて、涙を拭きながら教室に入っていく毎日でした。

だから、俺にとっては保育園の先生は、お母さんでした。

朝はそんな感じで後を追うんですが、それでもダメだと気付くと、気持ちが切り替わったように、教室に入って友達と遊んだりしてました。

小さいころからヤンチャだったので、先生からそんな事したらダメだと言われれば、それはもっとやれって事かなって事で、全然先生の言う事を聞かずに、保育園から脱走したり、お友達が一所懸命につくった積み木を、ゴジラ~とか言って壊してまわったり、お友達のみーちゃんが、床屋さんごっこしようと言うので、はさみでミーちゃんの長い髪をザクザク切ってあげて、保育園中大騒ぎ……。

決まって言う事が聞けない俺は、
「貴信は、何度言っても、3歩あるくと忘れちゃうから、ニワトリと一緒。
だからニワトリの三吉の小屋に入ってなさい」
って、ニワトリ小屋に閉じ込められました(まぁ当時はそんな時代)

でもね~、この三吉が怖くて……。
小屋に入って来た人に向かって飛んでくるんですよね。
しかも、羽をばたつかせて、俺の顔めがけて飛んでくるんですよ。もう、それが怖くて怖くて……「ごめんなさい~もうしないから~」ってやってました(笑)

そんなヤンチャなガキでしたが、保育園の中でいつも嬉しいかったのは誕生日会。
クラスの中で月に一度その月に誕生日を迎えるお友達のお誕生日会をしてくれるんです。
貧乏だったから、そこで小さいけどケーキをもらって、お給食の時にみんなが祝ってくれて、一人っ子だった自分にとっては、大勢のお友達や先生たちから、「おめでとう」って言ってもらえるのが、凄く嬉しかったのを覚えています。

そこで、担任の先生からお誕生日カードがもらえるんだけど、そのカードは俺は6月だから、アジサイの花だったり、でんでんむしだったり、先生が色紙を使って作ってくれるんですよね~。そしてカードを開くと、そこには写真が貼ってあって、その隣には、絵の具を手や足につけてペタってした、当時の手形や足型があるんです。そして、先生からのメッセージ。

当時はそのカードが嬉しくて、家に帰った後も、毎年もらったカードを並べて、手が大きくなったとか、足が大きくなったとか、自分でその手形足型に手や足を重ねて、大きくなったことが嬉しかったのを覚えています。

そこから数十年たって、自分にも子供ができ、まだ上2人が幼稚園だったころかなぁ。
実家に行くと、婆ちゃんの部屋で子供達が騒いでました。

「うぁ、父ちゃん手がでかっ」
「あぁほんとだ。全然おおきい」

何をしてるのかと思ったら、当時自分が保育園で先生たちからもらった誕生日カードをおふくろが取っていてくれて、古いアルバムの中からそれを引っ張り出して、僕の子供達が手形足型に自分の手と足を楽しそうにキャッキャしながら重ねてるんです。

カードはそうとう昔にもらったし、その後も誕生日のたびに引っ張り出してたから、もうボロボロ……。
それでも当時の自分の歳と子供達が自分の歳とを比べて、遊んでいたんです。
なんかその光景を見ていて、心が温かくなりました。

特に僕の時代は、第二次ベビーブームで子供の数が半端なく多かった時代。
クラスの人数も今とは比較にならないくらい、たくさんの子供達がいましたから、誕生日だって1クラス40人居れば40回あるわけで、俺のカードだけでも凄く凝った作りなわけです。さらに言えば今みたいにデジカメでは無いから、写真を一人ひとり撮って、現像に出して誕生日会までに準備して、その子の手型足型をペタっとやって、メッセージを書いてって……。

毎日子供達と朝から晩まで一緒に居る保育士さんのがお仕事です。
考えてみると作業をするのはお昼寝の数時間……。
きっと残業したりして創ってくれたんだろうなって、ボロボロになった誕生日カードから透けて見えてきました。

今は大人になって保育士さんのお給料事情も知っています。
親御さんが保育園に求めるものも大きくなっています。
季節によって、ただ子供を預かるだけではなく、保育園の様々なイベントがある中で創ってくれたカードです。
それは今も昔も変わらないし、その中で一人ひとりに向き合いやってくれた保育士さんのお仕事はまさしく、天使のお志事なんじゃないかなって思いました。

やっぱり人の心を動かす感動は、お金をかけることではなくて、手間をかける事なんじゃないかって思いました。

ちなみに、5歳の誕生日を迎えた僕のカードには、先生からの切実なメッセージが書いてありました。

『ターちゃん
おたんじょうび おめでとう

せんせいは 知ってるよ。
ターちゃんはほんとはすごくやさしいんだよね。

でも、ときどき、そのやさしいハートと
あたまと
てと
あしが、バラバラになっちゃうこともあるんだよね。

ほんとはやさしいターちゃんだもんね。
これからもやさしいターちゃんがだいすきです。』

……(笑)

保育園の先生たちが、僕のやさしい心を創ってくれました。
3つごの魂100までもって言いますが、保育士さんが創ってくれたそのカードを今では僕の子供達が見て喜んでくれています。ほんとにありがとうございま~す。

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