昨日の“サービスは相手の立場に立って”の続きです。ちょっと具体的に相手の立場に立ったサービスについて考えてみようと思うんですが、その前にサービスの本質について、昔志匠鬼澤さんに教わったのは、サービスは感性なんだよということでした。
例えば、製品とサービスの違いを考えてみるとわかりやすいです。
大きな違いは、製品は提供する時とそれを消費する時にタイムラグがあり、サービスは提供する時と消費する時が一緒だと言うことです。
レストランを例にして考えてみると、お客様がハンバーグランチと言う商品(製品)を注文したとします。しかし提供したのがハンバーグランチではなく、エビフライ定食が出て来たら……。まだ消費されていないので、『これ違います』となり、『ません。直ぐに新しい物をお持ちします』と、交換ができるわけです。
反対に僕らが行うサービスはどうでしょう?
同じように、レストランでお客様が来店されたら、笑顔でいらっしゃいませと言う挨拶のサービスがあるとしましょう。
しかしココで、ウエイターのバイトが、当時の俺みたいな輩でお昼どき、もの凄いお客様の数でとても忙しいような状況の中、オーナーや経営者はその状況は嬉しいわけですが、時給で働くバイトの俺は、同じ時給なら暇な方がいいわけです(笑)
それなのに忙しいのでちょっとイライラしながら、来店されたお客様に挨拶をします。
(ったく、なんでこんな忙しいんだよ……
あっまた客入って来やがった……
見りゃわかんだろ、混んでんだから他行けよっ……心の声)
そしてそこに偶然入ってきたお客様に挨拶をします。
「…チッ、いらっしゃいませ(●`ε´●)」
これにお客様も怒ります。
「お前、今の態度はなんだっ‼」
「ハッ、普通ですけどっ」
「ふっ普通、今、舌打ちしてからいらっしゃいませって、全然いらっしゃいなんて思ってないだろっ‼」
「…思ってますよっ」
「いや思ってないよ。お前じゃ話にならん、上のやつ読んでこい‼」
とっ、ココで店長登場です。
「お客様、申し訳ありません。どうなさったでしょうか?」
「どうもこうもあるかっ‼
アイツの態度は何なんだっ‼
俺たちが入ってきたら、にらむようにして、舌打ちしていらっしゃいませって言ったぞっ‼
店の教育はどうなってんだっ‼」
「それは申し訳ありませんでした。それではお客様、直ぐに新しいいらっしゃいませをご用意いたしますので、もい一回お店に入って来ていただけますか?」
どうですか?
コレはもうコントですよね(笑)
商品や製品はそれを作って提供し、お客様が消費するまでにタイムラグがあるので、もし間違いや不良があれば交換ができるんです。
でも反対にサービスは、僕らが提供した時が、お客様がそのサービスを消費する時になるんです。提供と消費が一緒なんです。
だから、サービスは難しいわけです。
やり直しができないうえに、お客様がそれぞれ求めているものが、人によってもその状況によっても違います。
それら不安定な中で、目の前のお客様をみて、自ら考え行動しなければならないので、これはまさに感性の勝負なのです。
鬼澤さんが教えてくれました。サービスは個々が自ら判断して動くので、スポーツ言うと、サッカーとかラグビーに近いんだと。
チームで行うスポーツですが、試合が始まれば監督やコーチが途中で試合を止められないし、色んな状況局面において、自分で考え動かなくてはイケない。チームは同じ方向を向きながらも、個人で考え判断する、その感性を磨かなくてはダメだと。
これはサービスも一緒です。
では、この感性を高める為に、どうしたらいいのかと言うと、それは体験学習なんです。
サッカーであれば、個々の練習も大切ですが、チームとして個々が機能しなくては勝てない。たから、感性を磨くために何度も何度も、チームみんなで同じ試合のVTRを観て、なぜこの時に、お前はこっちに動いたんだと、俺はこうだから、こうしたんだけど……なんて、意思疎通を繰り返しながら、実際の練習を繰り返し、個々が息を合わせて動けるようになるんだと。
だからサービスも感性なんです。
それぞれの感性を磨くしかないわけです。
相手の立場に立って考えるには、高い感性が必要です。
そこで必要なのは、いい話、これまであった心温まるサービス、伝説のサービスと言った事例を、リーダーが語る事なんです。
これが昨日言っていた事です。
長くなってきたので、明日はいい話や伝説のサービスの話が、聞き手にどう影響するのか、どう感性が高まるのかって話を書きましょうね‼
「相手の立場に立って考えるだけじゃダメ‼」
僕がディズニーランドを卒業して、コンサルタントの会社に入れてもらい、多くのサービス業の所にお邪魔すると、新しく入ってきた新人スタッフや、リーダーが後輩スタッフに、サービスの意味を説明、教える時“相手(お客様)の立場に立って考えろ”って教えてるシーンをよく見かけるんですね。確かにそうなんですが、それだけでだと物足りないと思うんです。
僕も、講演やセミナーでディズニーのサービスをお伝えする時、サービスは大きく分けると、機能的サービスと情緒的サービスの2種類あって、機能的サービスは当たり前の事を当たり前にする事。情緒的サービスとは、お客様のあると嬉しいサービスなんだとお話させてもらっています。
なので、相手の立場に立って考えるサービスは、情緒的サービスって事になるんですが、これを教える時に『相手の立場にたって考えろ』だけで終わってしまうと、受け取る側はそれを素直に捉えて、自分なりの経験や体験の中から、相手の立場に立つと、こう言う事かなって実践してくれる訳です。
しかしココが問題で、人によってこれ迄の体験や経験したことは違うわけで、A君B君C君が居たときに、それぞれバラついてしまったり、伝える僕ら側の相手の立場に立ってと、伝えられた側の相手の立場に立ってに差が出てしまうんです。
すると伝える側の基準に達っしてないもんは、ダメでこれぐらい頭で考えればわかんだろってなったり、A君は良くてB君とC君は使えねえなって事になったりしてしまうんです。
僕がディズニーでトレーナーになった時、教えてもらったのは、相手の立場に立って考えろだけでは駄目だよって事でした。
何故なら、ディズニーのあるアメリカでは、人種が違うから、相手の立場には立てないんだって事でした。ちょっと悲しいけど黒人は白人の立場にはなれないし、チャイニーズは白人の立場にはなれないと、住む場所や使える施設さえ違うわけで、だからアメリカでは、相手の立場に立って考えろは不親切だと。
でもコレは、単一民族の日本でも同じことが言えるんじゃないかなって思うんです。年齢が違えば、考え方も見てるものも違うし、感じ方だって違うんです。流石にしゃべる言葉は同じでも、若い子達が使ってる言葉は、俺らオッサンには理解不能ですもんね(笑)
だから、具体的に教えなさいと、それは具体的な相手の立場がわかるようなエピソードとしてトレーナーの僕らが話すんだよって事でした。
トレーナーがエピソードを話す事で、実際に映像が浮かぶんだと、その映像が浮かんだ時に、初めて相手の立場に立って考えるって言うのは、こう言う事なんだなって理解し、次からは同じように考え実践できるようになるんですね。
ちょっとこの辺の事を、明日は具体的に書いてみようと思いますね。
「栗城…ゴメンな」
一昨日から、心の奥の奥が、何かモヤモヤです……。
14日の夜、NHKスペシャルで栗城の番組を観ました。そして、何度も何度も観ました……。
番組の中では、栗城の挑戦は何だったのか?
そして、何故栗城は死んでしまったのか?
今となっては最後の挑戦になってしまった去年のアタック前、俺は栗城とドリプラを盛り上げる為に、俺らコメンテーターで何かできる事はないかって、栗城本人から連絡がありました。
その時まで、栗城がドリプラにそんなにこだわりがあるなんて思ってなかったからスゲェ驚いたし、電話でドリプラは続けないと行けない、どんな事があっても続けるべき価値のある物なんですよって、スマホの充電が無くなるくらい、電話で熱く語るのが俺の中の栗城は、もっとクールでそんなに思い入れを待つなんて思ってなかったから……。
でも、番組中でも紹介されていた、去年彼が強くこだわっていた“否定という壁”を無くしたいって言う事は、挑戦すればするほど増してきたドリームキラーによる誹謗中傷、否定のコメントの数々……。反比例するように、応援コメントの減少……。
彼の中で、本当の辛かったから、ドリプラのように、相互に支援、応援し合う社会が理想だったのかなって思う。散々否定し続けられてきた彼だから、ドリプラを通して否定という壁を壊したかったのかもしれない……。
そんな中、エベレストへの挑戦がはじまった。番組では応援のコメントは多いときから比べると、3割に減ってしまってたと……。
そこに焦りもあったのかもしれない。
そんなことを考えると、当時の自分の後悔が蘇るんだよね。どこかで、彼の挑戦の傍観者になってたんだと思う……。
応援してるからって言いながら、どこかで無関心になっていた自分がいたんじゃないか……。お前の挑戦観てるよって、もっと自分が行動してたら、無関心って言う最大の恐怖を和らげられたんじゃないか……。
結局、栗城を応援してるとか言いながら、実は無関心になっていた自分が居て、だったら最初から応援してるなんて、軽々しく言うんじゃねえよって……。そんな言葉が俺の中でぐるぐる回ってる。
本当の勇気は、どんなに不安でも、世間の風あたりが強くても行動し続ける事なんだって教えてくれたんだと思う。
栗城は最後まで諦めないで、挑戦し続けて人生を終えました。俺も、思い通りにならなくて、うまく行かなくて……ただ考えるだけで、何も動かなくて……。
悩んでたって何も変わらないんだよって、栗城が俺の頭の上で叫んでる気がしました。
愛の反対は無関心。
どんだけ頭で考えた所で、行動しなければ何も変わらないんだよね。
栗城、ゴメンな。
俺、もっと動くからよ。
“否定という壁”
“無関心と言う悪魔の自分”
変えるよ。行動するからよ。