昨日は、今年で8年目を迎える福島ひまわり里親プロジェクトの年一イベントひまわり甲子園の1日目でした。
この福島ひまわり里親プロジェクトは、明日で8年目を迎える東日本大震災の後、福島の僕の仲間達が立ち上げた、福島を元気にしようと言うプロジェクトです。
福島は皆さんがご存知の通り、福島第一原発が爆発して、目に見えない放射能と言うもんが降ってしまい、8年経ってだいぶ規制は解除されたものの、まだちょっと帰れない場所もあり、当時は大混乱でした。
そんな中、ひまわりは除染効果があるって話を聞いて、それならひまわりの種が沢山必要になる。また同時に障がいを持っている方達が働く作業所では、福島県産の食材(こんにゃく)を作って販売していたけど、売れなくなり仕事がなくなってしまった所もある。
ひまわりはひと粒の種から、太陽に向かって真っ直ぐに背を伸ばし、夏には大きな花を咲かせて、秋にはひとつのひまわりから沢山の種が取れる。
そうか、作業所の人達にお仕事として、種の袋詰をしてもらい、その種を全国で販売しよう。そして、それぞれの土地で花を咲かせてもらい取れた種を福島にお繰り返してもらって、その種で福島中をひまわりでいっぱいにして除染に役立てれば、一石二鳥だろうと始めたのが、ひまわりの種の里親さんになってもらう、福島ひまわり里親プロジェクトなんです。
はじめた当初は様々な問題がありました。
福島のひまわり種なんて、日本全国に放射能を撒き散らす気か⁉(福島産ではないのですが)とかのお叱りを受けたり、なかでも一番ヤバかったのは、はじめて1ヶ月ぐらいして、種も全国で沢山の人達が買ってくれて、起動に乗り始めた矢先、農水省からひまわりに除染効果は科学的根拠がないと発表された時でした。
プロジェクトの根幹を揺るがすこの発表から、メンバー全員が、終わったと思いました。払い戻しも誠心誠意させて頂いて、このプロジェクトをおしまいにするしかない。作業所の皆にも、せっかくお給料が払えたのに……。申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
しかし、全国の里親さんからの反応は、真逆のものでした。
科学的根拠なんてどうでもいい。
私はこの種で必ずひまわりを咲かせて、種を送ります。だからプロジェクトを止めないで欲しい。除染どうこうじゃなく、この種は私達県外の人間と福島を繋ぐ、“絆”の種なんです。だから続けて欲しい。必ず送った種で、来年福島をひまわりでいっぱいにしてください。
そんな励ましの声ばかりでした。
プロジェクトを始めた、メンバーが気づかなかった、この絆と言う繋がり。ホントに嬉しかったそうです。
そんなプロジェクトを8年間続ける中で、全国で沢山のキセキのような物語が生まれました。その発表会が昨日のひまわり甲子園でした。
その中で、沢山の感動を頂いたので、ひとつのエピソードを紹介しますね。
それは長野県にある里親の「養護老人ホーム尚和寮」さんでの出来事です。
養護老人ホームと言う場所には、精神的に心に病を抱えていて、自宅では生活が難しいお年寄りの方がいらっしゃる場所だそうです。
そこにいらっしゃったのが、旦那様に先立たれ、何をするにも前向きにはなれずに、自殺願望の強いAさんでした。
事あるごとに、「死にたい」「死んで楽になりたい」「死なせて欲しい」と繰り返すAさん……。
そんなAさんでしたが、ひまわりをきっかけに変わって行きます。
職員の方が見つけてくれた、ひまわり里親プロジェクト。このホームで、ひまわり咲かせてみようと、一人で雑草だらけの中庭の場所を耕し始めました。
するとAさんが、何してるの?
と、興味を持ってくれたのです。
ここにひまわりの種を植えて、花を咲かせて、秋にはその花から沢山種をとって、福島に送り返して、福島でまたひまわりを咲かせてらうのよ。Aさんも一緒にやらない?
そこから、Aさんはその職員の人と一緒に、「この雑草を抜いていいの?」
「そうそう、こっちも抜こうね」
って言いながら、毎日ひまわりが咲くのを楽しみにしていきます。
その職員の人が朝出勤すると、今まで見たこともないような笑顔出駆け寄り、「ひまわり咲いたよ‼」って言ってくれたそうです。
その後も、ひまわりの種を一生懸命に収穫して、福島に届けてくださいます。
それまで生きる希望も見つけられず、ただただ死にたいと口にしていたAさんは、このひまわりがきっかけとなり、今では「ひまわりはまだ? 送った種は届いたのかな?」って、少しづつ前向きに変わられたそうです。
発表でその職員の方がおっしゃってくれた言葉が印象的でした。
「この福島ひまわり里親プロジェクトは、ひまわりの種を通した、心のセラピーです」
人の心はちょっとした事で、壊れてしまいます。それでも、ほんの小さな種のひと粒が、壊れた心を包んでくれて、癒やしてくれるんですね!
僕はこのプロジェクトを、これからも本気で応援していこうと思います。
昨日はありがとうございましたm(_ _)m
NPO法人 チームふくしま
福島ひまわり里親プロジェクト
042-563-7472
https://www.sunflower-fukushima.com/
「記憶力……‼」
昨日今日と、リゾートトラストさんの芦屋ベイコートクラブで、従業員の皆さんへの勉強会でした。
どの会も、現場の従業員の方々がメインなので、とっても真剣に聞いて下さり、盛り上がっていただいて、ほんとに嬉しかったです。
そんな中、最終回を終えて、みんなに見送ってもらいながらタクシーのところへ行くと、一人の若い女性スタッフが声をかけてくれたんです。
「香取さん、私実は小学校の時に、姫路で香取さんの講演聞いてるんですっ‼」
「ブハァっ‼」
思わず、口の中に入ってたフリスクを吹きましました(笑)
「マジで⁉」
「あっでも覚えてないですよね。もう、10年以上前のことだし」
キーワード“姫路”、“小学生”……。
この瞬間、脳みそがまたフル回転するですね。そして、その時のことが鮮明に蘇ります。
「わかった、小学生の子供達が将来の夢を発表する会だよね。姫路城の目の前の会場で、これから姫路城が改修工事になるからしばらく見れなくなりますよって、担当の人に言われたよ。
小学生の男の子の家が、木こりかなんかで、お母さんが他の人ともう国産の木材を使った住宅が建てられなくなってきて、安い外国産の木材ばかりになって、もう私の所もお父さんの仕事が、なくなっちゃうわよね。って話を聞いて、だから僕はたくさん勉強して、将来建築士になって、国産の木材だけを使った日本家屋をたくさん建てて、お父さんの仕事を助けるのが夢なんです。って発表したよ」
「あぁ〜そうです。私生徒会だったので、学校代表であの会場で客席から、香取さんの講演も夢の発表も聞きましたよ。覚えてるんですね〜(驚)」
僕が思い出して、ブワーって話したのを周りに見送りに来てくれた従業員のみんなに、よく覚えていますね〜と、一同関心とちょっと引いてました(笑)
そうなんです。多分僕は得意体質なのかもしれないんですが、めっちゃ記憶力がいいんですよね。しかもそれは活字としてではなく、全てを映像のようにして思い出し、その時にあの人がどんな表情で、何を言ったかまで全部覚えているんです。自分でも怖いときがあるくらいに、全く忘れないんですよね。
みんなからはスゴイですねって言われるんですが、実は忘れられないが為に、もの凄く苦しいこともあるんですけどね(笑)
でも、今日はその記憶力のおかげで、当時小学生だったスタッフと蘇った記憶で盛り上がれました。
最後に、その女性スタッフから、あの時お話を聞いたのが蘇りまましたし、先生はあの時と変わらずパワフルで、今日もあの時よりパワフルだったですよ。なんて嬉しいですねぇ〜。
最初に本を出版させていただいたのが、2002年、そこから講演のご依頼を頂いて、もうすぐ17年になるんですよね〜。
そりゃぁ、当時小学生の子たちが大人になるわけで、ここまで長くやらせて頂いていることに感謝です。
ほんとありがとうございましたm(_ _)m
これからも、パワフルに行かないとですね‼
「現代版組踊‐肝高の阿麻和利とは?」
昨日沖縄から帰って来ました〜。
この3泊4日のトリップはいつものサーフィンがメインのサーフトリップ……ではなく、志匠鬼澤さんから10年間誘われ続けて(鬼澤さんごめんなさい)きた、肝高の阿麻和利の舞台を観に行くことがメインの(笑)トリップだったんです。
先ずはどんな舞台なのか、舞台が作られる事になったバックストーリーをお話します。
僕が聞いた話なので、ちょっとズレてたりする所はご容赦下さいね。
皆さんがよくご存知の沖縄本島には首里城がありますよね、昔の沖縄は日本(大和)の一部ではなく、琉球王国と言う独立した国だったわけで、当然琉球には琉球の歴史があるわけです。
沖縄の子供達は琉球王国の歴史についても、小学校の社会の時間に教わるんだそうです。
歴史はいつでも争いに勝って統治した側からの歴史感が正なわけです。だから負けた側は賊となってしまうのは仕方のないことですが、そこには子孫もいるわけです。
それが舞台を始めるきっかけとなるのですが、この賊として教わった地区が勝連(現在のうるま市)だそうです。今まではうるま市で生まれて育った子供達は、自分の先祖は悪い人だとなり、周りからもそう見られ、なかなか自分の生まれたこの場所に、生まれた事に自信を持てなかったそうです。
ところが新しい史実が少しづつ発見され、相手側から見た史実で教わることとの違いがわかるようになったそうです。それは勝連側からみると、勝連のリーダーは賊ではなく、むしろ英雄だったんじゃないかと。
もっとうるま市の子供達に自信を持ってもらいたいと、当時の教育長から平田大一さんにお願いされ、この平田さんがうるま市の中高生を集めて、現代版の舞台を演じることで、演じる子供たちにも、またそれを観た大人や観客達にも意識を変えられるんじゃないかと、1999年に阿麻和利の舞台がスタートしたそうです。
しかし最初の稽古に集まったのはたった7人……、それでも諦めずに動いた結果、3ヶ月後の舞台には、150人の子供達が舞台に上がることになるのです‼
ホントは1回限りの舞台としてスタートしたのですが、終わってみると参加を希望する子供達がどんどん増え、更には舞台での感動を体験した子供たちも観客達も、この街に生まれたことへの誇りを育み、子供達は輝きを放つことに‼
遠く500年前の賊とされていた阿麻和利は、志高き英雄として生まれ変わり、その意志を受け継ぐ子供たちを通して、今では究極の人づくりを実現した軌跡の舞台となり、今年で20周年を迎えることになったそうです。
そして僕が一番感動して涙腺が崩壊してしまったのは、舞台を演じるのが全くの素人からスタートした地元中高生達だと言う事。舞台の音楽の演奏をするのも地元中高生の生バンドなのです。
演技に精通する人たちから見れば、彼らの演技や表現力には足りないところがあるのかも知れません……。だけど、そこには誰一人手を抜かずに一生懸命に演じる子供達が輝いているんです。
僕はディズニーで“毎日が初演”何千何万回目のボートでも、初めて立ったあの時の、一生懸命だった初舞台でなければならないと教わりましたし、自分でも実践しているつもりでした……。でもそれは彼らを目の前にした時に、ぶっ倒れるぐらいの本気ではなかったです……。それは時間と共に習得した、小手先の技術でその場しのぎの自分だったんじゃないかと……。
そしたら、もう涙が止めどなく流れ、号泣してる自分にあいました。もっと本気になれるはず、もっと一生懸命できるはずなのに……。
彼らの合言葉は『一生懸命はカッコいい』だそうです。だから、主役を演じている子供達だけではなく、客席の横で踊り、歌い舞台には上がらない役の子供達が、まるで主役そのものの演技で迫って来るんです。
大人が変われば、子供が変わり未来が変わる。確かにそうだと思います。でも、反対に子供たちの純粋な本気が、僕ら大人に迫ってきて、大人の僕らがスイッチ入るんです。
ちなみに、この阿麻和利の組踊が開始されて300年続いてるそうですが、その踊りは阿麻和利が悪者として今でも踊られているそうです。それでも、この現代版の組踊が、地元うるま市を元気にしていることは紛れもない事実です。
地元で毎年開催される公演では、中高生のやる舞台なのに、チケット販売開始から30分でソールドアウトになることがあったそうです‼
そして今回“現代版肝高の阿麻和利”の舞台が20周年を記念して、2日間で6千名を動員した東京公演から10年ぶりに、8月10日茨城県小美玉市四季文化会館みの〜れと、8月12日東京国立劇場大劇場で行われることが決定しました。
僕はこの舞台を応援しようと決めました。
多くの人に知ってもらいたいので、東京公演が行われる8月の前に、地元うるま市で行われる6月15日16日行われる公演を観に行くツアーをしたいと思います。
是非皆さん、スケジュールを空けて、皆で観に行きましょう。
以下は、舞台のあらすじです。
〜現代版 組踊 肝高の阿麻和利〜
学校で噂になっている「幻の祭り」の真偽を確かめるため、2人の子供たちが真夜中の勝連城跡に忍び込んだ。突然の雷鳴とともに、肝高神が現れる。肝高神は幻の村祭りを執り行っていた、長者の大主と呼ばれる白ひげの老人に巻物を手渡す。大主はその巻物を子ども達に手渡し、それを読み解くように頼む。そこには、「阿麻和利の乱」の真実が描かれていた。
阿麻和利は草木や波、鳥の精などの不思議な力に導かれるようにして、勝連の浜にたどり着く。そこで阿麻和利は、悪い按司である望月に反乱を起こそうと計画している、3人の青年に出会った。
阿麻和利は彼らの手助けをすることを決断し、望月追放のため、ある作戦をたてた。
青年たちは、非暴力の無血革命を阿麻和利と共に成功させる。阿麻和利は勝連の人々に慕われ、勝連の新しい按司となる。阿麻和利は、10代目城主として勝連を豊かにし、繁栄へと導く。
琉球王国は建国されたものの、その支配体制は未だに安定したものではなかった。読谷按司であり、王(首里)の義父にあたる護佐丸は、王と並ぶほどの武力と財力を持っていた。王の腹心の部下である金丸は、護佐丸が琉球王国にとっての脅威であると考え、阿麻和利を利用して護佐丸を討たせようと王に進言する。金丸の計画は次のようなものだった。王の実の娘、百十踏楊を阿麻和利に嫁がせる。この結婚により、阿麻和利は疑いを持たずに金丸の計画通り動くこととなる。次に阿麻和利が、王国に謀反を企んでいるという為の容疑をかけられた護佐丸を討つ。そして最後に、護佐丸の遺児に扮した旅芸人が阿麻和利を討つ。
気乗りはしなかったが、阿麻和利は王命に従い護佐丸を討った。勝ち戦とはいえ、義理の祖父を殺めたことで、阿麻和利は喜べなかった。阿麻和利は祝賀会の席で深酒をしたところを、護佐丸の遺児に扮した旅芸人に襲撃される。阿麻和利は深手を負うが、一方では王国軍が勝連城に迫っていた。阿麻和利の部下たちは皆、徹底抗戦のための準備をしていたが、阿麻和利は無駄に命を捨てるなという最後の命令を下す。勝連の人々に自分の夢を託し、阿麻和利の魂は空へと昇って行った。