2019.06.19「沖縄Tripのその訳は?」

先週の15日〜18日まで沖縄に行ってきました(^^)

モチロン、大好きな波乗りで行ってきた?!訳ではなくて、今回も、現代版組踊「肝高の阿麻和利」の舞台を応援する為に行ってきました。

2月に初めて観た阿麻和利の舞台は、最初から最後まで号泣して、必ず今年の夏に行われる関東公演(東京・茨城)を成功させる為にと思って、僕の知り合いに声をかけ、とにかく一緒に観て欲しい、そして感じて欲しいと言って全国から心ある仲間と一緒に観て気ました。

前回観ていたので、今回はストーリーも次のセリフや展開もわかっているので、より子供達の表情や動きに目が行きましたが、舞台に上がっている役者はもちろんですが、やっぱり客席で踊ったり、唄ったりしている子供たちも本当に一生懸命で、観ているだけで何故か涙が止まらないんです。ホントに凄いエネルギーなんですよねぇ(T_T)

そしてなんと、今回は公演が始まる前に、この舞台を作られた平田大一さんのお話をお聞きする事が出来ました。

平田さんは、ドラマちゅらさんの舞台になった小浜島の出身で、何人来ようがどんとこいの民宿のお母さんと、サトウキビ畑のマイスターのお父さんと暮らしていて、南風詩人として小浜島などの町おこし村おこしなどをやられていたそうです。

のちに朝ドラで有名になるちゅらさんのきっかけは平田さんだったんですねぇ〜。

そして20年前、沖縄県うるま市の当時の教育長の方が、うるま市の子供達が夢も希望もなく、何をやってもどうせココ出身の俺たちが何をやろうが、未来なんて……と後ろ向きな事に悩まれていました。

琉球国だった頃から、ココうるま市(当時の勝連地区)には阿麻和利は首里に刃向かった賊であり、その子孫であると教えられ、自分の生まれた場所に愛着すら持てなかったのです。

よく、ニュースで成人式に暴れる新成人が映し出されるのもココ勝連地区だったんですねぇ〜。

そんな事で頭を悩ませていた時、本当の阿麻和利は賊ではなく、ヒーローだったんじゃないか? 民を守る為に全てを知っていて、自分の命を引き換えに、勝連の民を救おうとしていたのではないか、事実、阿麻和利を唄ったものがどれもこれも、悪い事なんか唄われず、勝連の民から最も肝高い城主であったと言う事がわかってきました。

そんな新しい史実をもとに、教育長から平田さんが呼ばれ、何とか舞台を作って欲しいと、そしてこの舞台は人づくり町おこしに必ずなるはずだからとお願いされたそうです。

平田さんはそれを聞いて、二つ返事で快諾。さっそく舞台の構想を練るのです。そして、うるま市にある高校と中学を周り、一緒にこの舞台を作って演じてみないか?とキャラバンを展開。

手ごたえとしては、新しい史実があり皆の祖先の阿麻和利はヒーローだったんだと、盛り上がったそうで、これで150名の舞台を完成できると喜んで、練習初日を迎える事に……。

しかし、蓋を開けてみると集まったのは7人……。
あんなに、盛り上がっていたのに……。

それでも平田さんは、教育長の想いを背負っています。ここで諦めたら、この場所のこの子たちの未来は変わらないと、奮起します。

しかし、そこは中学生の子供達、行きたくて来たわけでもなく、仕方なく来さされた子供達……。何をやっても盛り上がらず、平田さんには浴びせられるのは「テンション高すぎ〜。もうおじさんキモイ〜」(涙)

そこに居た、教育委員会の役場の人達から出てて来た言葉は
「平田さん、気にしないでくださいね。この子たちは田舎の子なので、恥ずかしがりやで……」

この言葉に平田さんのハートに火が付きます。
『子供達は田舎に住んでいようが、どこに住んでいようがそんな事は関係ない。そう考え口にする大人のお陰でそうなっているだけだ。現に自分が一番田舎者、小浜島の田舎もんの俺が言うんだから間違いない。みてろ〜』とスイッチが入ります。

そして、用意した台本は置いて、先ずはゲームをしようと言う事で、子供達同士の距離を縮める為のゲームをします。すると、今まで大人しかった子供達も、どんどん元気になっていきます。そして距離も縮まり、さぁ、台本の読み合わせをしてみようか?となると、子供達からは、「腹へった〜」の大合唱(笑)

そりゃそうです。学校が終わって、部活も終わった時間から集まります。ゲームやらなんやらで1時以上使ってましたから……。

そしたら、ご飯を食べようねって事で、事前に用意してもらったおにぎりを食べながら、学校では何をしてるの?とか、今興味があるものは何?なんて話しながらご飯を食べて、時計を見ると!?

もう終りの10分前に!!
取りあえず、みんな台本の読み合わせだけしようねと。
じゃぁ皆がやりたい役を選んで残りの時間は、読み合わせをしよう!! さぁどの役がイイ?

すると全員が、主役の阿麻和利〜(笑)
そこは、全員主役やりたいんだ。
よし、わかった、わかった、じゃあ僕が他の役全部やるからと、最後の10分だけ練習……。

そして、みんなが帰る前に、
「どうだった? 楽しかった?」
「えっ、楽しかったよ。」
「ほんと、そしたらお願いがあるんだ。来週友達一人でもいいから連れて来てくれん。お願いだから」
「うん、イイよ」

こうして初日が終わったそうですが、教育委員会には苦情の電話が殺到……。学校が終わって、部活もやって、習い事もあるのに、ワザワザ阿麻和利の練習まで送りに来れんでしょうと。

ならばと、社会福祉協議会のバスを借りて、(平田さん、大型の㈼種まで持っていたんですねぇ)、このバスでそれぞれの学校まで迎えに行く事になったんだそうです。

この日から最後まで平田さんはバスの運転手さんに(笑)

そして次の練習日。
学校に迎えに行くと、この間の子供達が新しい友達を連れて来てくれていました。

「あっ、アレが平田さん。コレ私のツレ!!」
「あ平田です。よろしくね」
「……」
「バスに乗ろう」
「……えっ、あの、僕は平田と言いまして……(聞いてない)」

もちろん、友達を連れてきてくれたのは良いのですが、まだまだ友達の方は何をされるのか、どこに連れて行かれるのか不安の塊……。当然練習も最初から上手く行くわけもなく……。また振り出しから……。ゲームをやってご飯を食べて、最後の10分だけ練習……。そして最後に次もまた友達一人でも良いから連れてきてとお願いし、また次回……。

舞台の練習をしなければいけないのに、毎回こんな感じが続いたそうです。それでも気が付くと150名に!!

そして、最初の阿麻和利の舞台が実現できたそうです。
本番もセリフは棒読み。踊りもバラバラ、大切な所でセリフを忘れてしまったり……。

それでも、最初の舞台では、会場の最前列には舞台に出ている親御さんが陣取り、事あるごとに立ちあがり
「コレ、私の息子!! はい、続けてぇ〜」
と、会場大爆笑。

しかし、この最初の舞台が終わると、観ていた人達からの拍手と指笛、歓喜の声援……。やって良かった。

決して一人一人、上手いわけではないし、セリフもボロボロだけど、一生懸命に演じる子供達の姿に、そこにいた誰もが涙を流し、ここ勝連に生まれて良かったと感じているのがわかりました。

ホントは1度だけのはずの舞台のはずが、次は私も出たい、僕もやりたい、この舞台は今後も続けるべきだ!!なんて、皆から言われ、今年で20年を迎えます。

舞台に立てるのは、演技を勉強しているとかそんな事ではありません。舞台を通して、子供達に、そしてこれを観た大人たちにスイッチが入る事が目的なんです。

だから20年間今日まで、舞台に立てるのは、うるま市に住民票のある中高生、または、うるま市立の中学校、高校に通っている学生でなければ立てません。

今年も、あらたに沢山の子供たちが参加しています。

舞台の中で何度も出てくる唄があります。
これも平田さんが作詞作曲しています。
僕は、この歌詞に平田さんや当時の教育長が込めた、勝連の子供達に向けた、メッセージがあるんじゃないかって感じます。
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平田さんの動画と一緒に観て下さい。

あまわり浪漫

勝連の海に 浮かぶ船に乗る
忘れんなよ(わしんなよ) 夢を 肝高の夢を

波は舞い踊り 風の声を聞け
忘れんなよ(わしんなよ) 詩(うた)を 肝高の詩を

時が流れても 生命(いのち)巡りても
城(ぐすく)は 語る

はぁ?

アダンの葉の陰に 眠る情熱を
忘れんなよ(わしんなよ)今も 肝高の子らよ

時が流れても 生命(いのち)巡りても
夢見る 未来(あした)へ

はぁ?

太陽(てぃだ)光る海に 浮かぶ船に乗る
忘れんなよ(わしんなよ) 夢を 肝高の夢を

忘れんなよ(わしんなよ)永久に

あ ま わ り ? 浪漫?
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この舞台が、今年東京ではなんと国立劇場で行われる事が決定しました。国立劇場で素人のましてや子供達の舞台が行われることは多分初めてです。

そして茨城では小美玉で行われます。

150人の舞台です。裏方もふくめて子供達は、この関東公演の為に、一人8万円の旅費を自分で負担します。もちろん裕福な家庭ではありません。今もうるま市の平均月収は決して高くは無く、高校生の子供達はアルバイトをしながら、そして中学生の子供達は、連日募金箱を持って街頭で歌や踊りを披露して募金活動を行っています。

是非、彼らの負担を減らし、関東公演の練習の方に時間を割いて欲しいと、僕の志匠鬼澤さんを中心にクラウドファンディングを行っていますし、企業協賛も募っています。

どうか多くの人に拡散して下さい。
そして、当日満席で会場から溢れるぐらいの人達の中で公演を実現させるお手伝いをしてもらえませんか?

よろしくお願いします。


クラウドファンディングサイト:
https://readyfor.jp/projects/amawari-ibaraki?fbclid=IwAR1sQ-k7OVks2LLaOphk9UiT7DqN8vz8r19lRwK5fs_GgWg6VihLpDJtAJc

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2月に観た時の感想はこちら!!
ブログ「現代版組踊‐肝高の阿麻和利とは?」

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そして、仲間に宛てた今回の一緒に観るツアーの想い
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みなさんこんにちは?
香取です。僕の突然の誘いに、日本中からこんなにもたくさんの想いのあるみなさんと、6月に一緒に舞台を見れること。更にはこの舞台を創り20年間も続けて来られた、演出家の平田さんの想いを一緒に聞ける事が、死ぬほど嬉しいです。

今日は、なぜ皆さんを巻き込んでまで、一緒に沖縄で舞台を観たいのかをお話させて下さい。(あっ決して波乗りしたいからじゃないですからね(笑))

僕はこの舞台を、10年前から志匠鬼澤さんから、一緒に観ようって誘われ続けてきました。何故か今年まで重い腰が上がらなかったんです……。本当、弟子として最低ですが……(猛省)

そして、今年の2月に生まれて初めて、うるま市で肝高の阿麻和利を観せていただきました。(その感動は、僕のブログ「現代版組踊‐肝高の阿麻和利とは?」に書いたので読んでください)

一言で言い表せないくらいの衝撃を受けました。究極の人づくり、地域活性化って言うのは、子供たちに、自分の生まれ育った場所に誇りをもたせることなんだと。ひいては、この国に生まれてきて良かったと感謝ができるかなんだと感じたんです。

そして、その後何気なく鬼澤さんが言ったんです。

「香取くん、どうだった? もう最初からダメだったね?」
「はい、もう子供たちの唄からダメでした……(T_T)」
「僕はこの舞台をみてね、もっと本気にならないとイケないと思ったんだよ」
「はい、俺なんて、もう全然適当に生きててすみませんって感じです」

「香取くん、僕はこれを地元の子供たちにも、観せたくてね。そして、一生懸命はかっこいいんだって伝えたいし、もっと自分の生まれた場所に興味を持ってほしいし、そして同じよう誇りを持ってほしいって思っててね。だから、今年決めたんだよ。この舞台を茨城でやるって?」
「えっ? マジっすか?
150人の舞台ッスよ。それを茨城でやるなんて、いくらかかるんすか? 飛行機代だけで、立派な修学旅行ッスよ」

「そうだよね(笑)
飛行機代や宿泊とか旅費だけでも700万以上かな(笑)」
「いやいや鬼澤さん、いくらなんでも舞台のチケットの値段上げても、絶対に赤字じゃないですか?」

「う?ん、まぁね。
でもさ、これを茨城で観せたい。体験してほしいんだよね。だから、僕はね何があっても“やる”って決めたんだよね。うん、やるだけやってそれでも赤ならしかないけど、全ては僕がやるって決めたからさ(笑)」

鬼澤さん、笑いながらも目は本気でした。
鬼澤さんは昔から、自分の地元を良くしたいと、先頭に立ってやったり、新しいリーダーを育てて、その後ろから支援したり、とにかく地元茨城を良くするために動いていましたし、それを僕は横で見ていて、一貫した思いで動かれてる鬼澤さんを見て、俺もあんな人になりたいと心の中で思っていました……。

でも、今回は全てのリスクを自分でかぶる覚悟で動かれてる鬼澤さんを見て、僕の心にも火が着きました。どうにかして、僕は鬼澤さんを男にしたいと思ったんです。

そしたら、なんの脈絡もなく、携帯片手に日本中の僕の知り合いの方々に、一方的にメッセージを送りつけてしまいました。本当に被害者の方々には、ご迷惑をおかけしました。すみません。

それでも、香取くんの頼みに断る理由なんかないよって、快く承諾してくれた皆さんには、ほんとに俺は感謝しか無いです。ありがとうございます。

特に俺の後輩は沖縄行くから日程開けとけって、強制だったので、被害者の会がまたうるさくなると思いますが、そのうち責任取るから後輩たちはゴメンよ(笑)

今回、全国から皆さんにお集まり頂き、一緒に舞台を観ていただいて、同じように心が動いてくれたら、鬼澤さんや実行委員の人たちを男にする為に、協賛金集めのために、力を貸して欲しいんです。

どれぐらいの予算が必要で、協賛の集め方などは、今後お伝えするとして、先ずは一緒に観て欲しいんです。体験して欲しいんです。

そして心が動いたら協賛集めを手伝っていただきたいんです。

これかが今回、皆さんを沖縄に誘った俺の想いなんです。どうか理解してもらえたら嬉しいです。

まだまだ、皆さんのお知り合いで、この人なら想いもわかって、一緒に協賛集めのPR手伝ってくれそうだなって人が居たらお誘いくださると嬉しいです。

長文になり申し訳ないのですが、読んでくださってありがとうございます。

2019.4.9 香取 クライマックス 貴信


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「内定者家庭訪問」

大阪にある道頓堀ホテル。ご存知の方もおられると思います。連日海外からの観光客のお客様でいっぱいのホテルですが、その昔はなかなかお客様が集まらず、経営難に陥るようなホテルだったそうです。

どうしたら良いのかを考えて行く中で、開業した1970年、アジア初・日本初の「万国博覧会」大阪に世界中から観光客が集まった時の原点に立ち返りました。

これから日本を訪れる海外のお客様に、日本式のおもてなしをして、日本と海外の架け橋になるようなホテルにしようと考えたのです。

そして社員みんなで考えました。「日本のことをもっと知っていただいて、たくさんの体験や、楽しい思い出を通して、日本のことを好きになっていただけたら嬉しい」そんな思いを込めて、手作りでイベントを日替わりで行っているんですね。

例えば、スタッフが着付けをしてあげる着物体験や、日本の食文化を体験してもらう、たこ焼き、たい焼き、お好み焼き、クレープ、おでん、焼き鳥等々を食べて頂いたり、縁日の輪投げや射的だったり。

手作りですが、とても温かいイベントで、体験した外国人旅行者の方々は喜んで、また来たいと口コミが広がり、今では多くの海外からのお客様でいっぱいになったのです。

そんな温かいホテルの空気を作っているのが、働いてるホテルの従業員です。

どのスタッフもみんな明るく温かいのには理由があるです。それは、社長が掲げる大家族主義の経営なのですよね。

社長は社員一人ひとりを自分の子供として迎え入れるんです。だから本当に心を込めて接しています。

その中でびっくりする取り組みはたくさんあるのですが、僕が共感したのは、内定者の家庭訪問でした。

それまで大切に育てられたお子さんを預かるわけだから、内定を出した責任として、実際の親御さんと会ってお話し、社長の自分がどんな人間を理解してもらって、お子さんを預からせて欲しいと、承諾をいただきに行くんだそうです。

しかもそれは全員。
道頓堀ホテルは、日本と海外の架け橋になることを見ざしています。当然、従業員の中には外国人の方もいるわけです。

そして最近では、内定者4人に対して、日本人は1人だったそうですから、内定者の家庭訪問も、それぞれの国に行かなければ実現できないわけですが、社長は決めたことだからどこへでも行くそうです。

そんな中で採用し内定者となったのはチベット方だそうです。チベットと言われても検討も付かなかったのですが、全員行くと決めたのだからと、チベットの方が生まれ育った村まで行ったんだそうです。

ホントに遠かったそうですが、行って良かったと。現地に行くと、ご両親だけではなく、村をあげて猛烈に歓迎してくれたそうです。

遠く日本と言う国で頑張っている我が子が就職を決めた事だけでも嬉しいのに、その会社の社長さんがわざわざ来てくれるなんてと、村中が大騒ぎになったんだそうです。

お子さんを預からせてもらいます、今まで大切に育てて頂いたお子さんを、今度は私が大切に育て幸せにしますとお約束したそうです。

どうですか?
素敵な社長と会社じゃないですかね〜‼